初診時の診断:「上突歯列・上突咬合・叢生歯列・下後退顎」
歯周病を伴う叢生および上顎前突症例であり、むし歯の進行により歯の神経をとった失活歯も多数あったことから、失活歯の代わりに第3大臼歯(親知らず)を牽引して利用した症例です。初診時35歳。
■ 現症
顔貌所見
※以下より画像をクリックすると大きい画像が見れます。
骨格的に上顎骨および頭蓋に対して下顎骨が後方に位置し骨格性の上顎前突傾向を認めます。上顎前歯は唇側に傾斜しているため側貌において下顎は後退感が強く口唇閉鎖時の口腔周囲軟組織の緊張感を強く認め口唇を閉鎖しようとしても口が閉じきれず歯がはみ出してしまいます。
口腔内所見
上顎歯列に対して下顎歯列は後方に位置し、上顎前歯は唇側に傾斜し、叢生(乱杭歯)は顕著で特に下顎左側第2小臼歯(左下5番)が舌側(内側)に転位しています。その遠心に位置する下顎左側第1大臼歯(左下6番)は近心に大きく傾斜していました。親知らず(8番、第3大臼歯)は上下顎左右に存在していました。修復歯は多数存在し右上7番、右下6番、左下4番は失活歯でした。歯の磨き残しは比較的少なくむし歯の原因菌も少ない傾向を認めましたが、やや広い範囲の歯肉から出血や退縮を認め初期の軽度歯周炎と診断しました。
特記事項
パノラマX線写真により下顎頭の変形が認められました。上顎前歯の歯根はやや短い傾向を認めます。
■ 治療方針
歯並びと噛み合わせの異常の原因は、上下顎骨の前後的なズレと顎骨内に歯が並びきらないことと考えました。そこで抜歯による矯正治療の適応となり、抜歯部位は、上下左右8番、上左右と下右4番、下左5番が理想的と思われました。しかし、上右7番が失活歯であり上右8番が存在していることから上右7番を抜歯し上右8番を牽引、下左4番が失活歯であることから下左4番を抜歯し下左5番の舌側転位を改善し保存する方針としました。治療期間は約30ヵ月を予想しました。矯正治療開始前の初期治療として、全顎的な歯石除去、PMTC、歯ブラシの指導をおこない口腔衛生状態の改善をおこないました。
×印は抜歯部位。
○で囲まれた右上8番(第3大臼歯:親知らず)は
失活歯である右上7番を抜歯して牽引する
■ 動的治療開始時口腔内写真および治療経過
動的治療開始
■ 動的治療開始から8ヵ月後
動的治療中に右下6番根分岐部に急性歯周炎を認め、デンタルX線写真による根分岐部の透過像が拡大していることを確認しました(Lindhe & Nyman根分岐部分類:2度)。集中した歯石除去やクリーニングによる病原性バイオフィルムの破壊を徹底しておこない、症状を改善し悪化しないようにコントロールしながら動的治療を継続しました。
■ 動的治療開始12ヵ月後 右上7番抜歯および右上8番の牽引
動的治療開始後に咬合の安定を待ち、右上7番を抜歯、右上8番を開窓(歯肉や骨の除去)し矯正装置を装着して牽引をおこないました。
抜歯した右上7番。
失活歯であるため黒く変色し、
修復物のつなぎ目に二次う蝕(むし歯)を認める
点線で囲まれた右上7番抜歯スペースに右上8番を牽引
(治療開始12ヵ月後から牽引開始。牽引後6ヵ月間の変化)
■ 治療結果
動的治療期間
動的治療期間は約31ヵ月で予定の期間よりも僅かに長い期間(1ヵ月)がかかってしまいました。これは、右上8番の牽引に時間がかかってしまったためと思われます。
顔貌所見
上下顎前歯が後退したことで口唇閉鎖が容易となり、口唇閉鎖時の緊張感が改善しました。緊張感が改善したことでオトガイも明瞭となり側貌も改善しました。
口腔内所見
叢生、上顎前歯の唇側傾斜は改善され、上下顎の全ての歯が効率よく接触する安定した咬合を得ることができました。初診時に認めた歯肉退縮は改善できませんが、矯正治療期間の明らかな歯肉退縮の進行は認めませんでした。また、動的治療期間中の毎回の調節時にPMTCをおこない、フッ素洗口(うがい)やフッ素塗布をおこなうことで歯の再石灰化が進み歯の表面には艶も認めます。
X線写真所見
パノラマX線写真所見では、全体的に歯根も平行に並び良好な歯軸の配列になりました。上顎前歯左右1番の歯根は吸収を認め僅かに短根化が進みましたが歯を支える歯槽骨の吸収や歯の動揺もなく安定しています。右下8番の埋伏は右下6番の症状が落ち着いているので保定期間中に抜歯の予定です。
デンタルX線写真により、動的治療期間中に発生した歯周炎による根分岐部の歯槽骨透過像は改善され、歯肉からの出血もなく炎症症状は改善され安定しています。
右下6番デンタルX線写真:
矢頭(▲)が示す部位の歯槽骨が確認される
セファロX線写真の重ね合わせにより上下顎前歯が後退し、口唇の突出感が改善し側貌における硬組織と軟組織のバランスが改善しました。
むし歯と歯周病のリスク変化
動的治療開始前に比較し、歯の磨き残しを表すPCRは23.4%から10%に減少、歯肉からの出血による炎症状態を表すBOPは14.9%から0%に減少しました。むし歯総合リスクは14から8へ減少、歯周病リスクは6から1へ減少しました。これらの結果から矯正治療開始前に比べて口腔衛生状態は改善され、う蝕と歯周病のリスクも減少していることが分かりました。
むし歯のリスク変化
トータルリスクは、動的治療開始時 14 → 動的治療終了時 8 へ減少
歯周病のリスク変化
トータルリスクは、動的治療開始時 6 → 動的治療終了時 1 へ減少
歯の磨き残しは動的治療開始時 23.4% → 動的治療終了時10%
歯肉からの出血は動的治療開始時 14.9% → 動的治療終了時0%
4mm以上の歯周ポケットは動的治療開始時 1.1% → 動的治療終了時3.5%
■ 考察
本症例は初診時にう蝕と歯周病のリスクが高く、噛み合わせの問題点も多く難症例でした。しかし、矯正治療開始前からう蝕と歯周病リスクを減少させる初期治療をおこなったこと、矯正治療期間中も毎回クリーニングをおこなったことで歯並びが良くなるだけでなく、う蝕と歯周病のリスクも減少しました。
4mm以上の歯周ポケットの割合は動的治療開始時に比べ増加しましたが、増加した歯周ポケットは上下顎第2大臼歯遠心部の歯周ポケットで主に第3大臼歯(親知らず)の抜歯による歯槽骨形態の影響によるものと思われます。歯周ポケットは存在しますが歯肉からの出血もないこと(BOP0%)から保定期間中にメインテナンスを継続することで徐々に減少すると予想しています。
このような包括的に口腔内の状況を改善することができた治療結果は、衛生士のクリーニングによるバイオフィルムの破壊や口腔衛生指導、一般歯科医による治療、質の高い矯正治療が効率よく連携できなければ生まれなかったと思われます。また、もし本症例を歯の生え始める小児期からう蝕と歯周病のリスクコントロールがされ、歯の動きやすい10代で矯正治療をおこなっていれば今回の治療結果に比較して歯肉の退縮を抑制し外科手術による親知らずの牽引をおこなわずに治療できた症例であるとも思われます。現在、Kさんの娘さんが歯並びと生え変わりの経過観察とむし歯・歯肉炎の予防で通院されております。お母様の治療経験を生かし、できるだけ負担の少ない治療を提供できるように管理をおこなっています。
参考サイト:歯周病の検査・診断・治療計画の指針
http://www.perio.jp/publication/upload_file/guideline_perio_plan_2008.pdf
永久歯の矯正治療(Ⅱ期)の目安
- 治療内容
- オーダーメイドのワイヤー矯正装置で治療を実施します。(スタンダードエッジワイズ法)
- 治療に用る主な装置
- マルチブラケット装置、症状により歯科矯正用アンカースクリューを用いる場合もあります。
- 費用(自費診療)
- 約1,280,400円~1,472,900円(税込)
※検査料、月1回の管理料等を含む総額 - 通院回数/治療期間
- 毎月1回/24か月~30か月+保定
- 副作用・リスク
- 矯正装置を初めて装着後は、歯を動かす力によって痛みや違和感が出たり、噛み合わせが不安定になることで顎の痛みを感じる場合があります。
歯を動かす際に歯の根が吸収して短くなる、歯ぐきが下がる場合があります。
治療中は歯みがきが難しい部分があるため、お口の中の清掃性が悪くなってむし歯・歯周病のリスクが高くなる場合があります。
歯を動かし終わった後に保定装置(リテーナー)の使用が不十分であった場合、矯正歯科治療前と同じ状態に戻ってしまうことがあります。 ・
長期に安定した歯並び・噛み合わせを創り出すために、やむを得ず健康な歯を抜く場合があります。