Sさん = ■ お母さま = ◆
拡大非抜歯治療から転医して抜歯治療を行った症例
初診時の診断:「中立咬合 両突歯列 叢生歯列弓」
今回は、7歳の時に歯列拡大を目的とした矯正、その後全体的に非抜歯矯正をおこなっていたものの治療方針や口唇の緊張感・突出感に疑問を持ち当院に転医して抜歯による矯正治療を行ったSさんの症例について解説します。
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OPひるま歯科 矯正歯科に転医するまでの流れ
1.A歯科医院にて
7歳~8歳:前歯のでこぼこ(叢生)を改善するために上下顎に拡大を目的とし上下歯列の裏側に拡大用のバネを装着。
2.B歯科医院にて
8~10歳:転居によりB歯科医院に転医、永久歯が萌出してきたことで再度叢生が現れ始めたので上下顎にブラケットを装着。非抜歯にて治療を行うも前歯が突出し、口唇が閉じにくくなってきた。
■ OPひるま歯科 矯正歯科 初診(転医)時 11歳
主訴
上下顎前歯の唇側傾斜および拡大による口唇閉鎖時の突出感・緊張感の改善。治療方針や説明に対する不安の解消を希望して当院へ転医されました。
顔貌所見
正貌において下顎骨の軽度左側偏位、側貌において口唇閉鎖時の口腔周囲の緊張感や側貌における軽度突出感を認めました。
口腔内所見
A歯科医院の資料から本来は顎骨に対して歯が大きすぎて並びきらない叢生であること、歯列の拡大が歯の傾斜により起きていることで徐々に叢生が戻りB歯科医院に転医した際にその叢生を改善するために上下顎に装置が装着されていました。永久歯は上下顎第1大臼歯まで萌出しており、下顎の第2大臼歯が萌出し始めていました。
X線写真所見
側面頭部X線規格写真(セファロ)により、上顎骨と下顎骨の前後的な位置関係は良好でした。上下顎骨の歯の並ぶ前後的な奥行きはそれほど無く、上下顎前歯は唇側に位置し軽度の口唇突出感の原因と考えられました。パノラマX線写真では、上顎第2大臼歯(左右上7番)の歯胚は上顎骨の深い位置に存在し萌出までに時間がかかると予想されたこと、下顎左右に第3大臼歯(親知らず)の埋伏を認めました。手根骨のX線写真では骨端骨の骨化が進行中で今後の成長が大きいと考えられました。
手根骨X線写真
(○部分の種子骨が現れていないのでこれから大きな成長が始まる事が予想される)
埋伏している第3大臼歯
萌出が遅れている第二大臼歯(左右上7番)
唾液検査・歯周組織検査
唾液検査では、むし歯の原因菌であるミュータンス菌、ラクトバチラス菌が少なく、唾液の分泌量も少なく、むし歯を予防しやすい症例と考えられました。
特記事項
特記事項はありませんでした。
■ 経過観察治療方針
当院への転医時は、 左右下7番が萌出途中で今後の萌出により前歯の叢生が後戻りする可能性が高いこと、上顎は左右上7番が萌出するまでに時間がかかりこのまま治療をしていても左右上7番が治療中に萌出することは期待できないこと、このまま非抜歯の方針で治療を継続しても口唇閉鎖時の突出感・緊張感は改善しないことから矯正治療を中断し叢生の後戻りや左右上7番の萌出状況を経過観察することとしました。経過観察期間中には、むし歯と歯周病予防のためにバイオフィルムを除去するメインテナンスを継続していくこと、フッ素塗布により歯質を強化するための指導やフッ素塗布を行いました。
■ 動的治療開始時 14歳
顔貌所見
顔貌は初診時同様に軽度の左側偏位と口唇閉鎖時の突出感・緊張感を認めました。
口腔内所見
経過観察期間中に左右下7番の萌出に伴い下顎前歯部に叢生が強く現れました。上顎は左右7番が未だに萌出しないため叢生が現れませんでしたが前歯の唇側傾斜に変化はありませんでした。
矯正装置を装着する前の初期治療により歯面にこびりついたバイオフィルムをPMTC、スケーリングにより除去し、フッ素塗布による歯質の再石灰化、適切なブラッシング方法の指導により口腔内のバイオフィルムを除去し矯正治療を開始しました。
X線写真所見
手根骨のX線写真では骨化が進み成長がほぼ終盤の時期にあることが分かりました。パノラマX線写真では左右上7番は萌出していないものの1~2年で萌出可能な位置まで移動してきたことが確認できました。
◯部分に種子骨が現れ
の橈骨骨端骨の癒合が認められ成長が終了に近づいて来たことがわかる。
動的治療方針
経過観察期間に予想通り下顎前歯部に叢生が現れてきたことから、現在の顎骨に対して歯が大きすぎて並びきらないことが確認できました。上顎には叢生がありませんが、左右上7番が萌出してくれば同様の状況になること、前歯の唇側傾斜により口唇閉鎖時の突出感・緊張感は依然として残っており改善するためには前歯を後退させることが必要であることから上下顎左右第1小臼歯(上下左右4番)を抜歯し、顎骨内にスペースを確保し叢生を改善しながら前歯を後退させ大臼歯を近心(前方)に移動しながら咬合を安定させることとしました。治療の予想期間は30ヵ月を想定しました。
装置装着時(動的治療開始時)
小臼歯抜歯後に動的治療を開始しました。
■ 動的治療終了時 17歳
動的治療期間および保定期間
動的治療期間は予想の30ヵ月を超え、約35ヵ月かかってしまいました。この間の調整回数は35回、平均的な来院間隔は1.0ヵ月でした。無断キャンセルなどによる長期の中断はありませんでしたが、下顎骨の左側偏位による上下歯列正中のズレを改善することに予想より時間がかかってしまいました。保定期間は24ヵ月を予定し現在は保定中です。
顔貌所見
動的治療後の評価では、上下顎前歯の後退により側貌における口唇突出感や口唇閉鎖時の緊張感は改善し、口元の良好なバランスを得ることができました。
口腔内所見
予想通り動的治療期間中に左右上7番が萌出し、安定した咬合を得ることができました。左右の臼歯関係はアングルI級となり左右対称の咬合を得ることができました。左右上1番近心隣接面に黒く変色したエナメル質脱灰のあとがありますが、矯正治療開始前から存在したもので左右上1番の角度を変化させたことで矯正治療中に見えてきたものです。矯正治療中からフッ素による再石灰化を行い、凍みるなどの臨床症状もなく歯質は硬く艶があり唾液検査によるむし歯のリスクも低いことがわかり、現在は再石灰化によりう蝕の進行が止まっているため経過観察としています。
X線写真所見
動的治療後の評価では、パノラマX線写真所見において、あきらかな歯根吸収や歯槽骨吸収などを認めませんでした。左右下8番(親知らず)は徐々に萌出してきていることを確認しましたので、保定期間中に抜歯が必要だと考えています。セファロX線写真の重ね合わせで、上下顎前歯の後退により口唇が後退して突出感と緊張感が改善したことがわかりました。また、下顎骨はわずかに成長して前方に移動し、オトガイがより明瞭になり美しい横顔になりました。
パノラマX線写真
動的治療開始から保定終了までのセファロの重ねあわせ
転医時→動的治療開始時→保定開始時の口元と口腔内の変化
転医時 → 動的治療開始時 → 保定開始時
■ う蝕(むし歯)と歯周病のトータルリスク比較
う蝕のリスク比較
う蝕のリスク合計は初診(転医)時「6」→動的開始時唾液検査「4」→保定開始時「6」と低い状態で安定しました。これは、歯の磨き残しであるPCRやフッ素の使用状況の改善によりリスクが減少したこと、接触する歯の本数が増加し噛み合わせが安定したこと、口唇を閉じやすくなったことにより咀嚼機能が向上し唾液の分泌量が増加したためと考えられました。
歯周病のリスク比較
歯周病のリスク合計は初診(転医)時「4」→動的治療開始時「0」→保定開始時「2」と減少し安定しました。歯周病のリスクはほとんどない状態です。
PCR、BOP、4mm以上の歯周ポケットの比較(%)
- PCR(むし歯と歯周病の原因菌の付着を示す歯の磨き残し)
- BOP(歯周病の原因菌による炎症を示す歯肉からの出血)
- 4mm以上の歯周ポケット
(歯周ポケットが4mm以上になると歯周病の原因菌による歯槽骨の破壊)
5分間刺激唾液分泌量の比較
5分間の刺激唾液量
■ 考察
本症例のSさんは、A歯科医院の初診時より拡大が行われたものの後戻りしてしまいました。その後、転医したB歯科医院でも非抜歯により歯を並べたことで後戻りをしたり口唇閉鎖時の緊張感が現れてしまった症例です。
乳歯から永久歯に生え変わる際にSさんのように捻れて生えてくるとご両親は心配になり、早い時期(子供の頃)に治してあげたいと思ったり、早い時期に治療をすることで将来の抜歯による矯正治療を避けようと考えるものです。
しかし、歯並びが悪くなる原因は顎の骨に対して歯が大きすぎること、上下顎骨の大きさや位置関係のズレにより起きるものです。したがって、どんな症例でも子供の頃に画一的に拡大したからといって顎骨や歯の大きさをコントロールできるわけではなく原因を改善することはできないため、拡大したことで口が閉じにくくなったり、治療後に後戻りするか抜歯による矯正治療を再度行わなければならなくなるのです。
当院は、できるだけ患者さんに負担の少ない治療を行い最高の結果をもたらすことを第1に考えますので、もしSさんが最初にA歯科ではなく当院を受診された場合は、子供の時に歯列拡大をする治療は行わず経過観察とし、むし歯の予防をしながら永久歯の萌出を待ち、成長を確認しながら矯正治療のタイミングを待ち、抜歯による矯正治療を行うと思われます。その方が、子供の時に拡大をしたり非抜歯で治療することで歯を磨きにくくしたり、拡大するための治療費や非抜歯による治療費の負担、通院する時間、矯正装置による痛みの負担を減らすことができるからです。
Sさんのように拡大や非抜歯の治療を経験された多くの方は、すでに高い治療費を支払ってしまっているため簡単に転医できません。そして、なんとか非抜歯で歯を並べようとするのですが、生涯にわたり口が閉じにくいことを我慢したり、一生リテーナーを使いながら後戻りを防ぐことになるのですが、途中でリテーナーを使わなくなってしまう方がほとんどなので最終的には後戻りしてしまうのです。
Sさんのご両親も当院に転医するには非常に負担が大きく悩まれたのですが、転医は正しい選択であったと考えます。また、Sさん自身も抜歯による矯正治療や長期にわたる矯正治療をよく頑張ってくれたので、このようなきちんとした歯並びと美しい口元を手に入れられたと思います。
現在、きれいな歯並びを求める方が増えており矯正治療を受ける患者さんは増えているのですが、比例して無理な歯列拡大や非抜歯による矯正治療の失敗が増えています。失敗の原因は歯科医側の問題が大きいのですが、自分やご家族を矯正歯科の失敗から守るためにはご自身で安易な矯正治療を選択せず矯正治療後長期にわたり安定する矯正治療を選択するために治療方針について担当医と十分に話し合って、本当にその治療が可能なのか、今行うべきなのかなど十分に理解して行うようにしましょう。
永久歯の矯正治療(Ⅱ期)の目安
- 治療内容
- オーダーメイドのワイヤー矯正装置で治療を実施します。(スタンダードエッジワイズ法)
- 治療に用る主な装置
- マルチブラケット装置、症状により歯科矯正用アンカースクリューを用いる場合もあります。
- 費用(自費診療)
- 約1,280,400円~1,472,900円(税込)
※検査料、月1回の管理料等を含む総額 - 通院回数/治療期間
- 毎月1回/24か月~30か月+保定
- 副作用・リスク
- 矯正装置を初めて装着後は、歯を動かす力によって痛みや違和感が出たり、噛み合わせが不安定になることで顎の痛みを感じる場合があります。
歯を動かす際に歯の根が吸収して短くなる、歯ぐきが下がる場合があります。
治療中は歯みがきが難しい部分があるため、お口の中の清掃性が悪くなってむし歯・歯周病のリスクが高くなる場合があります。
歯を動かし終わった後に保定装置(リテーナー)の使用が不十分であった場合、矯正歯科治療前と同じ状態に戻ってしまうことがあります。 ・
長期に安定した歯並び・噛み合わせを創り出すために、やむを得ず健康な歯を抜く場合があります。