初診時の診断:「開咬合 両突歯列 叢生歯列」
今回は、上下の前歯が突出(唇側に傾斜)し乱杭歯(叢生)になりながら開咬を呈ししているHさんの症例解説をおこないます。
■初診時
現症および主訴
前歯が突出して口が閉じにくいこと、口元の突出感を気にされて当院を受診されました。初診時27歳。
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顔貌所見
正貌における明らかな非対称性は認められませんでした。口唇閉鎖時の口唇周囲軟組織の突出感および緊張感は顕著に認めました。
口腔内所見
臼歯関係はAngle class I(アングルの1級)で上下歯列の前後的なズレは顕著ではないものの、前歯部に叢生と開咬を認めました。上下顎前歯は唇側傾斜し口唇突出の原因となっていました。むし歯の治療をしたことがある歯は上顎左側第1大臼歯(6番)のみでしたが、下顎左側第1、第2大臼歯(6、7番)の咬合面(噛む面)にむし歯になりかけた着色が認められました。親知らずはすでに抜歯されていました。
下顎左側第1、2大臼歯(6、7番)の
咬合面(噛む面)にむし歯になりかけた着色が認められた
X線写真所見
頭部X線規格写真(セファロ)により、上顎骨に対して下顎骨が後方に位置していること、下顔面骨格に対して下顔面軟組織が短く長さが不足していること、上下顎前歯の唇側傾斜により口唇突出していることが分かりました。デンタルX線写真により大臼歯のむし歯はエナメル質表面で進行が停止していると判断されました。
唾液検査・歯周組織検査
唾液検査では、むし歯の原因菌であるミュータンス菌やラクトバチラス菌はほとんど検出されず唾液の分泌量も比較的多いので、むし歯のリスクは低くむし歯の予防は充分に可能であると思われました。歯周組織検査において局所的に歯肉からの出血があることがわかりました。特に歯と歯の間にプラークが蓄積していること、歯の裏側から出血していることがわかりました。
特記事項
特記事項はありませんでした。
■治療方針
診断は 開咬合・両突歯列(上下顎前突)・叢生歯列としました。
主訴である口唇の突出感を改善するために、原因である前歯の唇側傾斜を改善する必要があります。そこで、上下顎左右第1小臼歯(4番)を抜歯して前歯を後退させることとしました。また、下顎骨オトガイ部(下顎骨の先端)の発達が弱く下顔面骨格に対して軟組織が短い傾向を認めることから前歯を十分に後退させ下顎骨を回転させ下顔面高を大きくさせないために歯科矯正用アンカースクリューの使用をお勧めしました。
矯正治療開始前に、むし歯と歯周病の予防方法やメインテナンスの重要性を説明し、徹底したPMTC(歯科衛生士による歯面クリーニング)、スケーリングによる歯石除去、フッ素の使用法やブラッシング方法の指導などを中心とした家庭での口腔衛生管理方法の改善のための初期治療をおこない、むし歯と歯周病のリスクが減少したことを確認してから矯正治療を開始することとしました。矯正治療中もリスクが再度上昇するので毎回のワイヤー調整時に上下のワイヤーを外して全顎的に歯肉縁上縁下のバイオフィルムを除去するためのクリーニングによるメインテナンスをおこなうこととしました。
大臼歯咬合面の着色は唾液検査の結果やデンタルX線写真により脱灰の進行が停止したむし歯と判断したため、削って金属やプラスチックで修復せずに歯科医院でのメインテナンスとフッ素の塗布、家庭での適切なブラッシングやフッ素の使用により再石灰化を促すことで予防することとしました。
■動的治療開始時
初期治療後に再評価をおこない、歯の磨き残しがほとんどなくなり、歯肉からの出血もなくなり、家庭でのフッ素使用も可能となったので、上下顎左右第1小臼歯(4番)の抜歯をおこなってから上下顎に矯正装置を装着して治療を開始しました。
動的治療開始時
歯科矯正用アンカースクリュー使用時
動的治療を開始して前歯と犬歯を後退させるために上下顎臼歯部に歯科矯正用アンカースクリューを埋入し、大臼歯の固定を強化しました。
歯科矯正用アンカースクリューは大臼歯と大臼歯の歯根の間に埋入し
デンタルX線写真で確認しました
■ 治療結果
動的治療期間および経過
実際にかかった動的治療期間は約24ヵ月、調整回数は27回、平均的な来院間隔は0.9ヵ月でした。無断キャンセルなどはなく歯の移動はスムーズであったこと、歯科矯正用アンカースクリューの使用により前歯の後退と犬歯の遠心移動がスムーズに進み予想よりも短い治療期間で動的治療を終えることができました。
顔貌所見
上下顎前歯の後退により口唇の突出感は減少され、側貌においてE-lineの内側に口唇が入る様になりました。口唇閉鎖時の緊張感も減少し自然に口が閉じられる様になりました。
口腔内所見
上下歯列の抜歯スペースは閉鎖され、前歯は最大限に後退し、叢生と開咬は改善され、上下歯列の正中は一致し、上下の歯がバランスよく噛めるようになりました。 経過観察をしていた大臼歯咬合面の着色はむし歯が進行する傾向を認めませんでした。
下顎左側6、7番のむし歯は
動的治療期間中に進行を認めなかった
X線写真所見
パノラマX線写真所見では、明らかな歯根吸収や歯槽骨吸収などを認めず歯根もほぼ平行に配列されています。デンタルX線写真では下顎左側6、7番にむし歯の進行を示す黒い影は現れませんでした。
セファロX線写真の重ね合わせにより上下顎大臼歯が近心に移動することなく最大限に前歯が後退し上下口唇の突出感が改善し側貌における硬組織と軟組織のバランスが改善していることがわかります。下顎骨の回転により下顔面高が大きくなったりオトガイ部の後退感が強くなるような変化も認められませんでした。
デンタルX線写真
経過観察していた下顎左側6、7番にむし歯が進行するような所見は認められなかった。
初診時・動的治療後のセファロ重ね合わせによる比較
初診時 動的治療後の比較 (初診時 VS 動的治療終了時)
う蝕のトータルリスク比較
う蝕のトータルリスクは初診時の「9」から動的治療終了時「9」で変化がありませんでした。これは、歯の磨き残しであるPCRやフッ素の使用状況によるリスクは減少したものの、むし歯の原因菌が増加してしまったことによるものと思われます。むし歯の原因菌は様々な要因で変化するので今後も注意深くメインテナンスをおこないむし歯の予防に努める必要があります。
歯周病のトータルリスク比較
歯周病のトータルリスクは初診時の「8」から動的治療終了時の「3」に減少しました。初期治療により歯肉炎が改善され、その後の矯正治療期間中も定期的に歯肉炎の原因である歯と歯肉の間のクリーニングやHさん自身がご自宅で丁寧な歯磨きをしていただいたことでリスクが減少しました。しかし、歯肉からの出血を4.2%の歯に認めましたのでリテーナーの管理と合わせてメインテナンスをして改善し歯周病のリスクを減少させ予防していきます。
PCR、BOP、4mm以上の歯周ポケットの比較(%)
PCR(むし歯と歯周病の原因菌の付着を示す歯の磨き残し)、
BOP(歯周病の原因菌による炎症を示す歯肉からの出血)、
4mm以上の歯周ポケット(歯周ポケットが4mm以上になると
歯周病の原因菌による歯槽骨の破壊)の初診時・初期治療後の再評価時・動的治療終了時
■ 考察
本症例は、前回の症例紹介23で解説させていただいたEさんと同じ診断である「開咬・両突歯列・叢生歯列」の症例ですが、Hさんのご希望にあわせて口唇の突出感を可能な限り改善するために歯科矯正用アンカースクリューを使用して治療をおこないました。この結果、前歯の後退の際に大臼歯が近心(前方)に移動することなく前歯を最大限に後退させることができました。また、下顎骨が後下方に回転せずに下顔面高が長くなったりオトガイ部の後退感が強くなるような変化もありませんでした。矯正歯科治療により歯並びと噛み合わせだけでなく顔貌の改善も最大限におこなえた症例と考えています。
前回の症例とセファロの重ね合わせを比較すると今回の症例では大臼歯の近心移動がほとんど起きていないことがわかります。これは歯科矯正用アンカースクリューの効果によるものと思われます。しかし、すべての症例で使用しなければならない訳ではなく従来であればヘッドギアを使用してこのような効果を期待していました。しかしヘッドギアは装着時の見た目や煩わしさにより本来であれば1日に20時間くらいつける必要があるものの実際には患者さんの協力を十分に得られず使用時間が短く効果が現れない症例が多くありました。そこで、患者さんの協力に頼らず24時間使える歯科矯正用アンカースクリューにより大臼歯の固定を強固にすることが可能となったのです。しかし、すべての症例に使う必要はなくその使用には症例に合わせて選択する必要があります。
矯正治療開始前の検査で下顎左側6、7番に初期のむし歯が見つかりました。従来の歯科治療では、「早期発見・早期治療」の考え方に基づき着色している部分を削り金属や樹脂で埋める治療がおこなわれます。しかし、歯科先進国のカリオロジー(むし歯学)に基づいて、う蝕は歯が溶ける脱灰と溶けた歯にミネラルが戻る再石灰化の流動的なバランスが脱灰に傾くことで進行する疾患であること、脱灰に傾くリスクを唾液検査により評価し、初期治療によりリスクを減少させメインテナンスや家庭でのブラッシング・フッ素の使用によりリスクが上昇しない様にコントロールすることでむし歯の進行を防ぐことができました。今後もむし歯のリスクは常に変化するため定期的なメインテナンスによりむし歯を予防しきれいになった歯並びを長期にわたり維持していきます。
今回の症例
歯科矯正用アンカースクリューを利用したことで大臼歯の近心(前方移動)が抑制され前歯が最大限に後退している。
前回の症例(症例紹介23)
歯科矯正用アンカースクリューを利用していない場合の通常の矯正治療に認められる大臼歯の近心移動。
ヘッドギアを装着し頭部を
固定源として上顎前歯を後退させている
永久歯の矯正治療(Ⅱ期)の目安
- 治療内容
- オーダーメイドのワイヤー矯正装置で治療を実施します。(スタンダードエッジワイズ法)
- 治療に用る主な装置
- マルチブラケット装置、症状により歯科矯正用アンカースクリューを用いる場合もあります。
- 費用(自費診療)
- 約1,280,400円~1,472,900円(税込)
※検査料、月1回の管理料等を含む総額 - 通院回数/治療期間
- 毎月1回/24か月~30か月+保定
- 副作用・リスク
- 矯正装置を初めて装着後は、歯を動かす力によって痛みや違和感が出たり、噛み合わせが不安定になることで顎の痛みを感じる場合があります。
歯を動かす際に歯の根が吸収して短くなる、歯ぐきが下がる場合があります。
治療中は歯みがきが難しい部分があるため、お口の中の清掃性が悪くなってむし歯・歯周病のリスクが高くなる場合があります。
歯を動かし終わった後に保定装置(リテーナー)の使用が不十分であった場合、矯正歯科治療前と同じ状態に戻ってしまうことがあります。 ・
長期に安定した歯並び・噛み合わせを創り出すために、やむを得ず健康な歯を抜く場合があります。