前歯の移動で大切なこと
このように前歯を後退させる量が多い症例(上顎・下顎前突症例など)では、前歯を歯体移動させ過度に舌側傾斜させないことが重要です。しかし、前歯の後退を歯体移動するためには、時間が必要となります。そして、前歯を歯体移動させるための期間が矯正治療全体の期間を決定づけるため、矯正担当医は前歯の後退を急いでしまう傾向にあります。
上顎前歯の後退を急ぎ過ぎた場合、前歯は過度に舌側に傾斜してしまいます。舌側に傾斜してしまった場合、上下顎前歯の重なりが深くなり過ぎてしまい不安定な咬合になるなど、様々な問題が発生します。
では、なぜ歯体移動をするには時間がかかるのでしょうか?
トルクコントロールを含めた歯の移動は、ブラケットを介して歯冠部を通り歯根全体に矯正力が及びます。
この際、歯冠部は歯槽骨からでているため動きやすいものの歯根部は歯槽骨の改造減少を待ちながらの移動となるため、移動を急いでしまうと歯冠部の移動が先行し歯根部の移動が遅れるため傾斜移動になってしまいます。
また、厳密には前歯を後退させる場合、まず傾斜移動により歯冠部が先に移動します。その後ワイヤーのたわみにより根尖部も移動するのです。
そこで、前歯の傾斜角度に注意を払いながら後退量やトルクを調整していかなくてはなりません。
実際に前歯を後退させる場合の例です。
1.まず始めに根尖部(☆)を中心とした傾斜移動が起きます(点線)。
2.その後、歯冠部のブラケットスロットを中心とした回転が起き、根尖部が移動します。
3.結果的に、歯は歯軸が平行に移動した歯体移動となります。
したがって、実際の臨床におけるトルクコントロールとは、レクトワイヤーに組み込むトルクの量と歯の移動にかける時間のコントロールと言えます。
歯の移動にかける時間のコントロールとは、アンテリアリトラクション時にV-loopの基底部を開く量をコントロールしたり、来院間隔を空けたりして調整します。
*アンテリアリトラクション(前歯の後退)参照
つまり、アンテリアリトラクションをおこなっている最中にあまりトルクが効いていないと感じたら、V-loopの基底部を開く量を減らす、歯冠部の移動量を減らす、レクトアンギュラーワイヤーにトルクを強めに入れるなどの微調整をおこなっていきます。
また、トルクがあまり効かないからと言って、過度にトルクを入れ過ぎるとアンカーロスが起きてしまいます。
そこで、トルクを入れる際は加強固定を選択的に用いるなどの対策も必要となります。
*加強固定参照
下記の図は、同じ症例の治療開始時の頭部X線規格写真とアンテリアリトラクション終了時の頭部X線規格写真のトレースを重ね合わせたものです。
黄色いラインは治療開始時、青いラインはアンテリアリトラクション終了時(前歯の後退が終了した状態)の重ね合わせです。
上顎前歯が舌側に傾斜してしまい、根尖部の移動が不十分なことがおわかり頂けるかと思います。
上顎前歯が舌側に傾斜し、根尖部は充分に移動していない。
以下の図は上記の図から上顎骨、下顎骨のみ抽出し歯の移動を比較したものです。
下顎の前歯はほぼ平行に移動しているのに対して、上顎の前歯は舌側に傾斜して移動しているのがおわかり頂けるかと思います。
上顎前歯が舌側に傾斜し、根尖部は充分に移動していない。
下顎前歯はあまり傾斜せず歯体移動をしている。
実際の口腔内写真で見てみましょう。
レントゲンほどはっきりとは分からないかもしれませんが、上顎の前歯が傾斜移動になっています。
治療開始時
アンテリアリトラクション終了時
本症例において上顎前歯の舌側傾斜が起きてしまったのは、上顎前歯の後退を急ぎ過ぎたためでした。すなわち、ワイヤーに組み込まれたトルクの効果が充分発揮される前に、前歯の後退を進めた結果であったと思われます。
そこで、アンテリアリトラクション後のアイデアルアーチ(最終仕上げ)において、上顎前歯にトルクを入れていくことで前歯の歯軸の改善を試みました。
下記の図は、同じ症例のアンテリアリトラクション終了時の頭部X線規格写真と治療終了時のトレースを重ね合わせたものです。
青いラインはアンテリアリトラクション終了時(前歯の後退が終了した状態)、赤いラインは治療終了時の重ね合わせです。
舌側に傾斜してしまった上顎前歯の根尖部が舌側に移動していることがおわかり頂けるかと思います。
上顎前歯の根尖が舌側に移動し、歯軸が改善されている。
以下の図は上記の図から上顎骨、下顎骨のみ抽出し歯の移動を比較したものになります。上顎前歯の根尖が移動していることがおわかり頂けるかと思います。
上顎前歯の根尖が舌側に移動し、歯軸が改善されている。
では、実際の口腔内写真で見てみましょう。
レントゲンほどはっきりとは分からないかもしれませんが、アンテリアリトラクション終了時に上顎の前歯が舌側傾斜してしまっていたものが、治療終了時に改善されていることがおわかり頂けるかと思います。
アンテリアリトラクション終了時
治療終了時
この様に、適切なトルクコントロールにより歯体移動をさせるためには、ワイヤーに組み込まれたトルクと実際の歯軸の変化を注意深く観察し、毎回のワイヤー調整に反映させなければなりません。もし歯軸をコントロールせずに矯正治療を終了すると、噛み合せが深くなり過ぎたり、保定中にすき間ができたりと術後の安定性に問題が生じます。
トルクコントロールとは矯正治療の質(仕上がり)に直結する重要な要素であると言えるでしょう。
2回にわたりトルクコントロールについて、御説明させて頂きましたが、御理解頂けましたか?
トルクコントロールは細かく患者さんに伝わりにくい調整です。
しかも、すぐに調整の結果が出ないにもかかわらず治療期間を左右する重要な調整です。ですから、主治医の矯正治療に対する経験や観察力が大きな影響を及ぼします。
インターネットを見ていると、すごく短い期間で矯正治療が終了している症例が提示され、スーパーテクニックや最新のテクニックの賜物であるとしています。この様な症例の共通点としては、トルクコントロールを不十分にすることで治療期間を短くしている症例を多く見受けます。矯正専門医であれば写真を見ればトルクコントロールの不十分さがすぐに分かるのですが、患者さんには分からないでしょう。
また、現代矯正歯科において普及しているストレートワイヤーテクニック(スライディングメカニクス)では、ブラケットのスロットサイズに対して細い既製のワイヤーを用い、ワイヤーをブラケット内で滑らせるため積極的なトルクコントロールがしにくい構造です。
一方で、スタンダードエッジワイズテクニックでは、ブラケットスロットと同じサイズのワイヤーを使い、ワイヤーをブラケット内で滑らせる訳ではないので細かいトルクのコントロールが可能です。
トルクコントロールの重要性を理解することは、矯正治療を受ける患者さんが良い矯正歯科医院を選ぶために必要なことではないでしょうか。
ひるま矯正歯科が開業以来スタンダードエッジワイズテクニックにこだわる理由の1つは、トルクコントロールを正確におこなえるからです。
症例写真の補足情報
- 主訴
- 前歯のデコボコ
- 診断
- 中立咬合・叢生歯列
- 年齢
- 28歳8か月
- 抜歯部位
- 上下顎左右第1小臼歯
永久歯の矯正治療(Ⅱ期)の目安
- 治療内容
- オーダーメイドのワイヤー矯正装置で治療を実施します。(スタンダードエッジワイズ法)
- 治療に用る主な装置
- マルチブラケット装置、症状により歯科矯正用アンカースクリューを用いる場合もあります。
- 費用(自費診療)
- 約1,280,400円~1,472,900円(税込)
※検査料、月1回の管理料等を含む総額 - 通院回数/治療期間
- 毎月1回/24か月~30か月+保定
- 副作用・リスク
- 矯正装置を初めて装着後は、歯を動かす力によって痛みや違和感が出たり、噛み合わせが不安定になることで顎の痛みを感じる場合があります。
歯を動かす際に歯の根が吸収して短くなる、歯ぐきが下がる場合があります。
治療中は歯みがきが難しい部分があるため、お口の中の清掃性が悪くなってむし歯・歯周病のリスクが高くなる場合があります。
歯を動かし終わった後に保定装置(リテーナー)の使用が不十分であった場合、矯正歯科治療前と同じ状態に戻ってしまうことがあります。 ・
長期に安定した歯並び・噛み合わせを創り出すために、やむを得ず健康な歯を抜く場合があります。